三思一言2021.07.■■

福田美術館本「洛外図屏風」

左隻第1~2扇

周遊ガイド

 

◆ベースの写真は、嵯峨嵐山文華館に於て撮影させていただきました。

中井本「洛外図屏風」から、( )で貼札の地名を補記しました。

◆見当に必要な地名を、適宜注記しました。(*の黄文字)。

◆「洛外図屏風」各本の関係や年代について知りたい方は、下記ページをご覧ください。

◆クリックで画像を拡大できます。


⑴ 第1扇 鷹ヶ峯・今宮神社・大徳寺 2021.07.26

 左隻第1扇は、鴨川西岸から始まります。中井本では、西賀茂の集落と正伝寺が雲で覆われて描かれていないので、2本の関係を考えるポイント。鷹ヶ峯の「御茶園場」は、本阿弥光悦が徳川家康より拝領し、一族や職人などの法華衆徒を率いて集住したところ。幕府が寛永17年に開いた畠の区画や屋敷の名が示され、このようすは承応3年の年紀がある古図(御用大工頭中井家作成)と一致。「洛外図屏風」各本とも、金閣横の「七月十六日夜山火」が「大」ではなく船形となっているのが大きな謎。


鷹ヶ峯

今宮神社

大徳寺


⑵ 第2扇 金閣寺・平野神社・北野神社 2021.07.■■

 北野天神から金閣に至る関係がよくわかります。「洛外図屏風」では「御土居藪」を描かないのが原則ですが、紙屋川に沿ってそれらしきものが見えます。また平野神社も、「平野造」とよばれる特徴ある社殿の姿が、それらしい雰囲気で描かれています。「北山屋敷あと」の付箋は、何を意味しているのでしょうか?。金閣の瓦葺きが興味をひきます。


金閣寺

平野神社

北野天満宮


⑶ 第2扇 等持院・龍安寺・仁和寺・妙心寺 2021.07.■■

 衣笠山から大内山の麓に、等持院・龍安寺・仁和寺と名刹がならび、双ヶ丘の東に妙心寺の大伽藍が広がっています。仁和寺は家光の代の寛永18年(1641)から正保2年(1645)にかけて、妙心寺は承応3年(1654)から明暦3年(1657)にかけての大規模な再造営直後のようすが描かれており、「洛外図屏風」成立の年代指標として重要な場面。龍安寺は寛政9年(1797)の火災で建物のほとんどが焼失したので、鏡容池の背後に瓦葺・檜皮葺の堂舎が建ち並ぶ旧観がわかります。


等持院

龍安寺

龍安寺


仁和寺

仁和寺

妙心寺


⑷ 第2扇 高山寺・西明寺 2021.07.■■

 清瀧川の上流に、栂尾高山寺と槇尾西明寺が並んでいます。高山寺に注目すると、まず楼門とそこから続く階段の奥に、寛永11年(1634)に仁和寺の古道を移築したという金堂があります。国宝石水院はもと金堂の東にあったものを、明治期に現在地に移したもので、元の寺観が伺え興味深い場面。槇尾も元禄の桂昌院による再興以前の旧観が描かれています。この西、第3扇に高雄神護寺があり、元和9年(1623)に所司代板倉勝重の奉行によって再興された伽藍がわかります。


栂尾高山寺

槇尾西明寺

高雄神護寺大師堂


周遊の続きをお楽しみに