三思一言◆ つれづれに長岡天満宮(25) 2019.07.14               

平安神宮の御本殿移築

◆平安遷都千百年紀念祭と平安神宮の創建

 明治28年(1895)、第4回内国博覧会と平安遷都千百年紀念祭が、「京都の復権」をかけ、岡崎において盛大に催されることになりました。平安神宮は紀念祭のセレモニー会場として建設した紀念殿、桓武天皇を祀る社殿、そして広大な神苑からなります。建物の設計は宮内省内匠寮技師木子清敬、帝国大学大学院で建築史を研究していた伊藤忠太、京都府技手水口次郎の3名に委託され、大極殿・東西歩廊・蒼龍楼・白虎楼・応天門からなる記念殿の建設が、明治26年10月に着工します。

 社殿の着工は明治27年3月で、同年7月に名称を「平安神宮」とし、明治28年3月14日に竣工しました。社殿は三間社流造・檜皮葺の本殿と祝詞舎・透塀・後門・神庫・神饌所で構成され、敷地の周りは土塁で囲まれていました。創建当初の写真から、東山を背景にした神社の全体像がよくわかります。

 平安京の朝堂院を8分の5で復元した朱塗・瓦葺の記念殿と、桓武天皇を祭神とする素木造・檜皮葺の社殿は、「京都の復権」を内外に発信する千年の都のシンボルとなり、博覧会と記念祭の会場を大いに盛り上げ、華やかな時代祭の舞台ともなって大勢の人々で賑わいました。

◆長岡天満宮への移築

 平安神宮では、昭和12年(1937)ごろから、皇記二千六百年(昭和15年)にあわせ、孝明天皇を合祀する新たな本殿の建築が検討されるようになります。このころ長岡天満宮では、昭和27年の菅原道真御神忌1050年に向けての社殿改築の構想がありましたので、この平安神宮の社殿譲渡の動きに応じます。さっそく昭和13年6月11日に社殿造営委員会を設置して、同年6月29日に社殿の無償譲渡の請願書を平安神宮に提出しました。請願書には「長岡」が平安京と同様、桓武天皇の都があった聖地であり、「浅からぬ因縁」があること、近年は交通利便により崇敬者が増加したが社殿の腐朽甚だしく、規模が小さくて祭祀に不便であることなどが述べられています。譲渡決定の通知をうけたのは11月7日のことで、長岡天満宮に旧本殿・祝詞舎・透塀・伝廊下が、貴船神社に透塀(後門付)延33間が移築されることになりました。

 譲渡決定後すぐに解体工事が始まり、年内には長岡天満宮への部材の運搬が終了します。本殿の地鎮祭は昭和15年11月8日、上棟祭は昭和16年2月6日です。長岡天満宮の旧祝詞舎は手水舎に転用され、旧本殿は大歳神社(京都市西京区)へ、旧拝殿は角宮神社(長岡京市)へ移築されました。平安神宮から譲渡された建物の前には、新たに素木・檜皮葺の新拝殿が加えられ、諸建物が全部竣工して奉告祭が執行されたのは、昭和16年11月のことです。さらに昭和17年から翌年にかけて、参道改修も行われました。請願書の提出から参道の改修終了まで6年。戦時中の苦しい時局ではありましたが、檜皮の屋根が連なる清々しい神社空間として、面目一新となったのでした。この間の一括資料(記録・図面・写真)が長岡天満宮に保存されていますので、大工事の経過をくわしくに知ることができます。

 中小路宗康は、「昭和11年、父のあとを継いで宮司に就任しましたが、数年を経て知人の口添えにより、平安神宮がご改築なさるにあたり、旧本殿を拝領することになりました。無料での払い下げではありますが、解体・移築の費用は〆て7万5千円、当時の当神社としては考えもつかないような桁違いの大金でありましたが、神社千年の計の為には何としても実行したいと思い、先ず総代をはじめ地元有力者を説得、次に京都の財界を履物がチビリ、袴が擦り破れるところまで歩き廻り、遂に京都財界で絶対的な実力を持っておられた平井仁兵衛氏の信任を得ることが出来、以後募金は順調に進んで、遂に昭和16年にこの大事業を完遂することが出来ました」と、当時のようすを記しています(長岡天満宮社報紙『白梅紅梅』昭和61年1月1日創刊号)。

 この回顧のとおり、本殿移築には平安神宮本殿改築を推進した平井仁兵衛(西陣織物商、京都商工会議所議員)・内貴清兵衛(呉服問屋・京都織物会社等役員)、熊谷直之(鳩居堂)ら、京都の実業家たちが多額の寄付を寄せました。特に内貴清兵衛と中小路宗康は親交があり、内貴の家に行っては絵をもらって来たとのことで、長岡天満宮には内貴の号「舟屋」の名で寄せられた絵画が多数伝わっています。

 

ー参考文献ー

・『平安神宮百年史』平安神宮 1997年

・『長岡天満宮史』 長岡天満宮 2002年

・田島達也「近世・近代絵画」 長岡京市教育委員会『長岡天満宮資料調査報告書』美術・中世編 2012年

・高久嶺之介「昭和戦前期の長岡天満宮」『長岡天満宮資料調査報告書』古文書編 2014年

 

平安神宮本殿(明治28年) 『平安遷都千百年紀念祭祭協賛誌』より

平安神宮境内全体図(明治30年代) 『平安神宮百年史』より


新装の長岡天満宮(昭和16年) 長岡天満宮蔵

長岡天満宮手水舎(昭和16年) 長岡天満宮蔵

長岡天満宮絵馬堂(昭和16年) 長岡天満宮蔵


長岡天満宮参道の改修(昭和18年)

長岡天満宮蔵

長岡天満宮参道の新設(昭和18年)

長岡天満宮蔵

長岡天満宮(昭和50年代) 中央は拝殿・手前は絵馬堂 長岡天満宮蔵


平安神宮応天門

現在の長岡天満宮(平成の大改修後)