三思一言◆ つれづれに長岡天満宮⒁ 2018.12.18

                 

絵馬堂と神足の大工

  ◆天明の棟札発見

 2007年から始まった長岡天満宮の総合調査では、「目から鱗」のさまざまな発見がありました。今回ご紹介するのもその一つ、絵馬堂のお話しです。

 拝殿の横に絵馬堂が並んであったようすは、『都名所図会』に描かれています。安永本では草葺になっていますが、天明本では檜皮葺入母屋造の立派な建物です。あらたに発見された天明2年(1782)の絵馬堂棟札には、この天明の絵馬堂造立のようすがわかる驚くべき内容が書かれていたのです。それは、総奉行京極宮家司平儀重、作事奉行同じく京極宮家司山田源・天満宮御用掛坂井外記のもと、祝詞代中小路茂行名代宗芳・中小路宗照、そして神足村の岩岸弥平次為定が棟梁として造営にあたったことがはっきりしたことです。そして岩岸一族3名の番匠の名もあります。

 岩岸氏は、明応7年(1498)の開田天満宮造立にあたった地元生え抜きの大工です。このころには西岡の大工の一員として、開田村の三尊寺をはじめ楊谷寺、勝龍寺、光林寺(神足村)、聖徳寺(奥海印寺村)、阿弥陀寺(下海印寺村)など、付近の寺社や民家の普請をさかんに行っていたことがわかっています。

 八条宮→常磐井宮→京極宮→桂宮家と続く宮家の造営や修理は、代々の「御家大工」、または幕府御用大工頭の中井家が行っていました。長岡天満宮の元禄造営は「御家大工」である北村市兵衛があたり、安永・天明の大修造においても、本殿などは「御家大工」が担当したものと思われます。しかし、洛外の宮家領である下桂の御茶屋(桂離宮)・御陵御茶屋では、伏樋普請・小屋建て直しなど細かな仕事を桂大工に請け負わせていますので、長岡天満宮においても、本殿周りの石垣や土塀の普請を神足の大工が担当したのは当然のことです。なにせ岩岸氏は、室町時代から天満宮の造営にかかわっていた由緒ある大工の家なのですから・・・。本殿への石段を上る時、少し周りを見渡してください。この時岩岸氏が築いた石垣を、今も目にすることができますよ。

◆天神さんの絵馬

 もちろん、絵馬堂にはたくさんの絵馬が架けられていました。市史編さんの時と総合調査のさいの2度、調査を行っており、いずれも田島達也先生に担当していただきました。絵馬の調査は大変です。市史編さんの時は架けられた状態だったので、田島先生が「首が痛い」といっておられたのを覚えています。総合調査のさいにはおろして別置されていましたが、大小の剥落した大量の絵馬を、蚊と闘いながら辛抱強く記録していきました。

 確認したのは絵馬28点と、奉納俳句額・奉納素謡など25点です。年代は最も古いものが元禄3年(1690)で、絵馬堂の造営があった安永・天明年間のものがまとまっています。奉納者は京都の講や町、商人、神官など天神信仰の普及を反映して幅広い人々の名があり、京極宮家主寿子(紀州徳川家宗直の娘)の安全を祈願して宮家大奥女中が奉納した「桜下人物図」(押絵、天明2年)が特筆されます。寿子は、公仁親王が明和7年(1770)に38歳の若さで薨去したあと寛政元年(1789)まで宮家を守り、夫の「心願」であった安永・天明の大修造を成し遂げた女性です。

◆今堀弥吉の算額

 学問の神様・天神さんらしい絵馬として、地元馬場村の今堀弥吉直方(当時12歳)が奉納した算額をとりあげておきましょう。算額は自分が考案した問題や解き方を書き記し、学問の向上祈願や研究発表の場として掲げられたものです。江戸時代から大正時代にかけて流行し、日本各地の神社や寺などに約1000点が残っているといわれます。

 寛政2年(1790)奉納の弥吉少年の算額は3面1セットで、京都の中根流中島敬輔門人として9題の代数・幾何の問題を記しています。弥吉の家は開田村の隣、馬場村の西国街道筋にあった河内屋で、天龍寺領の庄屋も務めていました。享和2年(1802)の大万灯祭を前に、河内屋半兵衛は出入りの油屋として種油の調達を求められていますので(長岡天満宮文書)、日頃から天満宮との関わりが深かったことがわかります。12歳だった弥吉少年もこのころ成人となり、享和3年に24歳で半兵衛の名跡を継いでいます(今堀政嗣家文書)。

 この算額は昭和44年に桑原秀夫らによって初めて紹介され、資料的な価値が高く評価されました。保存のため平素は復元した絵馬を架けることになり、現在は新絵馬堂(白梅殿)でみることができます。

 

-参考文献ー

・桑原秀夫・吉田柳二編「京都府乙訓郡長岡町長岡天満宮奉納算額 由来並にその問題開設」 1969年

・小沢朝江「桂宮家における本邸・屋敷とその担当大工について」日本建築学会計画系論文集第467号 1995年

・近畿数学史学会『近畿の算額』1991年

・永井規男「西岡の大工」『長岡京市史』建築・美術編 1994年

・田島達也「近世・近代絵画」『長岡京市史』建築・美術編 1994年

・百瀬ちどり・毛呂祐子「絵馬および奉納額の概要と絵馬堂」『長岡天満宮資料調査報告書 美術・中世編』長岡京市教育委員会 2012年

  

天明6年刊『都名所図会』に描かれた絵馬堂

 天明の絵馬堂は、檜皮葺から瓦葺に変わっていました。この建物は御神忌1100年大万灯祭のおり、神楽殿(紅梅殿)として増改築されました。絵馬の一部は、新築された現在の絵馬堂(白梅殿)でみることができます。


天明2年 繋牛図 牛は天神を代表する画題で、さらに松や梅を配してその信仰とのかかわりを強調しています。。

天明4年 繋馬図 馬の背に梅鉢紋の布を被せています。絵師は京都の中村治兵衛で、下に奉納に関わった京・大阪の商人の名が連なっています。