三思一言 勝龍寺城れきし余話⑽  2020.12.11

再読「古今伝受座敷模様」-「殿主上壇」考-

◆キーマンは八条宮智仁親王

 「古今伝受座敷模様」は、長岡藤孝が三条西実澄より切紙伝授をうけた勝龍寺城「殿主」座敷のようすを記したものです。この文書は、細川幽斎直伝のもとで八条宮智仁親王によって写されたものですから、とても信憑性が高いことは前稿で強調しました。

 そして「殿主」が当時「天主」とよばれた高層の建物であること、柿本人麻呂の肖像をかける床の間があったらしいことも、注目すべき重要な内容です。

 しかしこの段階では、肝心なことがどうしてもわからず、曖昧にしておいたことがありました。それは4行目冒頭の「座敷者殿主上壇」の「上壇」という言葉です。西和夫先生はこれを床の間とされており、妥当な解釈とも思いましたが、いやいや天主の「上階」のことだろうか?と、さんざんに悩んでいました。そこでもう一度、宮内庁書陵部に伝わる智仁親王の古今伝授資料を見直すと、寛永2年(1625)に智仁親王が後水尾天皇に伝授をした時の「講釈次第」(半横帳)が目に留まりました。親王は直々に幽斎から教えをうけ、心酔していましたので、儀式を忠実に再現した可能性が十分にあります。これを読むと、きっと「上壇」の意味を知る手がかりになります。

◆もう一つの「古今講釈次第」

 後水尾天皇の父は後陽成天皇、智仁親王は叔父にあたります。二人は早くから師弟関係にあり、古今伝授の時、後水尾天皇は30歳、智仁親王は47歳でした。

 講釈は智仁親王が禁裏に祗候し、寛永2年11月9日より13日まで四季・賀・離別・覉旅と進められ、30日に再開。以後恋・雑と続き、12月6日・7日に仮名序、8日に大歌所・真名序で終了しました。そして14日巳刻、いよいよ切紙伝授の儀式。場所は禁裏「御会之間上壇」。その設えは、柿本人麻呂像・三種神器・供物・布・・・と、勝龍寺城天主の時の座敷模様と全く同じです。智仁親王は、関ヶ原合戦の混乱により伝授の儀式を受けることはできませんでしたが、幽斎の教えを忠実に再現したのです。

 そしてここにも「上壇」あります。なんと14日条の最後には図も付されていて、「上壇」とは「上壇(上段)の間」であるということがはっきりしました。上段の間は、格式の高い座敷において一段と高くしたところです。貴人が座るところだけ高くする場合(事例:修学院離宮窮邃亭)や、部屋全体を高くする場合(事例:霊鑑寺書院・京都御所学問所)といろいろですが、古今伝授が行われた上段の間は部屋全体が高くなっていました。

 それをふまえて、後に後水尾院が行った「東山御文庫記録」の古今伝授資料(東京大学史料編纂所影写本)を探してみましょう。後水尾上皇は、後西天皇・道晃法親王など8人に伝授し、関連資料のいくつかに同じような「上段」が描かれている図がみつかりました。この中から、明暦3年(1657)の道晃法親王への伝授座敷の復元図を示しておきました。「上壇の間」が古今伝授の重要な儀式空間であって、御所伝授の過程で何度も再現されていたことが明白です。

◆藤孝・光秀・信長の城と天主座敷

 これで長岡藤孝が三条西実澄から古今伝授をうけた天主に、「上壇(上段)の間」とよばれる座敷があったことがわかりました。そのような座敷のイメージを考える唯一の事例が、現存最古の天守・犬山城の「上段の間」です。それは一段高くした二間続きの座敷(天守1階)で、床の間があります。江戸時代の改修を経ているとはいえ、まずは参考にしておきしょう。時代が近いものとしては、豊臣秀吉ゆかりの醍醐寺三宝院・表書院を見ることができ、部屋全体を高くした「上段の間」の考え方がよくわかります。

 長岡藤孝の勝龍寺城、明智光秀の坂本城、そして織田信長の安土城の天主には座敷があり、ここが客人との挨拶、節目の儀礼、饗応・茶湯・連歌といった「おもてなし」の空間であったことは、多くの史料から解明されていることです。城での「おもてなし」は「戦」と同様に、戦国の世を生き抜いていくために大きな意味をもちました。藤孝は坂本城や安土城を頻繁に往来して歌を詠んでいますが、なかでも光秀の亀山城初興行(天正5年4月8日)の「亀の尾のみとりも山のしけりかな」は、新緑が目に浮かぶような印象深い句です。軌を一にして創られた新しい城と、文武両面で切磋琢磨した武将たちの姿を想像すると、戦国という時代をより深く考えることができるのではないでしょうか。

 

ー参考文献ー

・小高道子「御所伝授の成立について-智仁親王から後水尾天皇への古今伝授-」『近世文芸』36 日本近世文学会 1982年

・海野圭介「確立期の御所伝授と和歌の家」『皇統迭立と文学形成』 和泉書院 2009年

・『犬山城総合調査報告書』 犬山市教育委員会 2017年

・金子拓『戦国おもてなし時代』 淡交社 2017年

【追加】・百瀬ちどり「古今伝授座敷模様」を読む 『乙訓文化遺産』25号 2021年9月

 

天正2年古今伝授 三条西実澄→細川幽斎


智仁親王筆「禁裏に於いて古今講釈次第」 宮内庁書陵部蔵

 寛永2年、智仁親王が後水尾天皇に古今伝授をした時の記録。最後に「座敷模様」の指図が付されている。

 


寛永2年古今伝授 智仁親王→後水尾天皇

御所伝授の系譜略図


犬山城天守

 犬山城1階上段の間

犬山城と木曽川


御水尾上皇御茶屋(修学院離宮窮邃亭)

旧後西天皇書院上段の間(霊鑑寺)

2020京の冬の旅ポスターより

京都御所御学問所上段の間 

宮内庁ホームページより


醍醐寺三宝院唐門

醍醐寺三宝院表書院(奥が「上段の間」)

醍醐寺三宝院庭園