宇田淵(1827-1901)は、岩倉具視の腹心の部下であり、桂宮家令・宮内省官吏として多岐にわたる職務を務め、京都御所・桂離宮・修学院離宮など、皇室財産の保存に直接関与した人物です。勤皇の志士として明治維新を生き抜いた生涯と、漢詩人・歌人としての素顔を追います。


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【年表】宇田淵の事績.pdf
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資料に基づき集成したオリジナル年表。典拠も明示してあります。


 

宇田淵の活躍を、さまざまな視点から紹介するコラムです。


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『名家歴訪録』より儒家故宇田淵.pdf
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『名家歴訪録』(国立国会図書館デジタルコレクション)より

黒田天外のインタビューにこたえ、宇田淵が自らの履歴、岩倉具視の人物像、漢詩・和歌への思いを語っています。


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『全訳・栗廼花』.pdf
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宇田淵の歌集『栗廼花』の全文翻刻   

西岡の漢詩人から勤皇の歌人へ。淵の後半生は歌とともにありました。没後3年にさいし刊行された歌集『栗廼花』から全250首を翻刻。高崎正風の序・谷鉄臣の後序は、淵と岩倉具視との関係や、向陽会設立の動きなどを如実に伝えています。


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岩倉具視の京都皇宮保存
『岩倉公実記』より抜粋.pdf
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宇田淵の京都皇宮保存
【史料】宇田淵の事績(官吏編).pdf
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岩倉具視の京都保存策のなかで再生され、創造された京都の代表的な文化。改めて「近代」という時代と、「京都らしさ」の内実を考えてみましょう。



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さくらの長岡宮大極殿公園

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秋の長岡宮大極殿公園



閑院宮邸跡として公開されている建物は、明治16年に開設された宮内省京都支庁です。その奥に、明治25年建設の宮内省所長官舎跡が保存されています。宇田淵が宮内省京都出張所長を退職するのが明治28年ですので、このお庭を眺めたかもしれません。



明治28年の平安遷都千百年紀念事業(内国博覧会)は、京都復興をかけた一大イベントでした。桓武天皇を創祀する平安神宮は、岩倉具視の京都保存を締めくくる壮麗なモニュメントでもあるかのようにみえます。宇田淵は、桓武天皇の御璽を御所から見送った後、公務から身を引いたのでした。



 明治16年6月10日、岩倉具視は井上馨・香川敬三・北垣国道ら側近を引き連れて、保津川の船遊びに興じます。その時、船頭との問答で嵐山保勝会の発足を思い立ち、「櫻楓会」の結成を即決。しかしこの直後体調を崩し、わずかひと月余りの闘病を経た7月20日、激動の生涯を終えたのでした。



 明治維新により、天皇や公家たちは東京へ。その跡地の荒廃を嘆いた明治天皇の命により、明治10年から「大内保存事業」が開始。宇田淵は桂宮家令として「京都御所宮殿取締」を兼任し、その修繕や管理にあたりました。以来、もうすぐ150年に。この間の幾多の転機を経て、現在の姿があるのです。



 後水尾上皇が造営した修学院の御茶屋は、明治19年に宮内省へ引き継がれ、天皇の離宮として再整備が図られました。現在の下茶屋・中茶屋・上茶屋を結ぶ松並木の「お馬車道」も近代の所産です。戦後には周辺の民家や廻りの山林が買い取られ、後水尾上皇が愛でた御茶屋の風景全体が保全されています。