三思一言◆ 2024年1月13

長法寺の伝統行事「備射(ビシャ)」の記録

 ◆天台宗の古刹・長法寺

 長法寺(天台宗)は千観上人(919-984)の開基で、往時は「十二坊」を有する大きな寺院でしたが、応仁の乱によって焼失したと伝わっています。その実体を知ることは容易ではありませんが、本堂改築に伴う平成元年(1989)の発掘調査で、平安時代の建物跡(庵室)や瓦が見つかり、寺伝の一端を裏付けました。

 本堂向かいの三重塔は千観上人の供養塔といわれ、年代は鎌倉時代前期。初重には仏の姿が彫られています。また隣の宝筐印塔は、山の墓地から移されたもので、年代は南北朝時代の古いものです。

 御本尊は十一面観音坐像(室町時代)。そして特筆すべきは、昭和31年(1956)まで「釈迦金棺出現図」(国宝・平安時代中期)が伝来していたことでしょう。現在は京都国立博物館の所蔵となっていますが、日本の仏画史上類例をみない迫真の画面を目の前にすると、いっそう長法寺の深い歴史が想われます(今は、近代にほぼ原本と同じ大きさで制作された摸本があります)。

◆2012年・2013年の備射(ビシャ)を記録する

 集落の名前にもなるような「長法寺」のイメージは謎のままですが、往時の「十二坊」に起源があるかも?とされる年寄衆の組織が、今でも地域に息づいています。それが長法寺の境内で斎行される「備射(ビシャ)」とよばれる行事で、将来地域を背負う若者らの成人を「十二人衆」という長老たちが見届け、村の安寧や幸福を祈願して矢を射るのです(演じ手は、旧家の名跡継承が見込まれる、数え年20歳の青年)。

 十二人衆は、ビシャの前日から長法寺に集まり、砂・しめ縄・ゴザ・弓・矢・的などの準備を始めます。当日はこれらの設営を行い、大根・人参・するめ・洗米・塩・昆布を入れたハンボ(盥)を用意。そして「天照皇大神・八幡大神・春日大神」の軸を掛けた堂内で神事が始まり、一老と2名のビシャ演じ手の間で盃が酌み交わされた後、本堂前の射場へ。ハンボが的の両側へ置かれて、いよいよビシャ本番が始まります(演じ手の年長者が男弓、年少者が女弓)。まず四方に矢を向ける儀礼的な所作を行い、そして交互に矢を放つのです。

 地元のご厚意のもと、平成24年(2012年2月10・11日)と、同25年(2013年2月10・11日)の2カ年にわたり、これらの様子を撮影させていただきました。前日の射場を調える様子や、当日のビシャ本番を見守る僧侶・年寄衆・家族たちの和やかな雰囲気が映像に記録されています。この行事は現在休止中ですが、御了解をいただいてYouTube動画で紹介しました。

 

-参考文献-

・長法寺再建委員会『清巖山長法寺』 1991年

・『長岡京市史』民俗編 1992年

・京都府教育委員会『京都府祭り・行事調査事業報告書』 2023年